男性高齢者の「主観的幸福感」が低い理由

女性に比べて男性高齢者の社会参加が進まない実態は、各種調査が指摘しており、実際に高齢者のサークル活動や生涯学習活動、ボランティアなどを見ていても、女性の参加が圧倒的である。嫌なのだから、無理に参加させる必要はないだろうという意見もあると思うが、そう簡単な話ではない。そのような活動を通した運動や会話が健康寿命を伸ばし、認知症予防にも効果的である(ひいては医療費の抑制にもつながる)からだ。また、「嫌がっている」ように見えるかもしれないし、本人はそのように言うかもしれないが、近くまで来て見ている、情報だけは気にして入手しているような人も少なくないようで、「参加したいが踏み出せない、勇気がない」のが現実のような気もする。

幸福度も女性高齢者のほうが高い。下表は、幸福度を100点満点で採点してもらったものだが、女性が3~5ポイント、男性を上回っている。(老いの工学研究所調べ。2013年)

アメリカの教育学者・ハヴィガーストが提唱した「発達課題」において、老年期には以下の6つの課題がある。(発達課題は、「人生のそれぞれの時期に生ずる課題で、達成すればその人は幸福になり、次の段階の課題の達成も容易になる」と定義されている。)

①体力や健康の衰えに適応すること

②引退と収入の減少に適応すること

③配偶者の死に適応すること

④同年代の人々と親密な関係を結ぶこと

⑤社会的・市民的義務を果たすこと

⑥身体的に満足でききる生活環境を確立すること

これに従えば、発達課題をクリアできず、老年期に幸福を感じにくいのは、次のような高齢者だということになる。

①身体的な衰えを受け入れられない(嘆く、抗う)

②“稼ぎ手”以外の役割が見いだせない

③配偶者に依存しすぎている

④趣味や地域でのつながりが持てない

⑤社会貢献への意欲が乏しい

⑥高齢期にそぐわない住まいや周辺環境である

男女の大きな違いは、②~⑤にある。これらはいずれも、「会社」や「働き方」に関係している。多くが専業主婦であった女性高齢者は、それまでの人生の過程で②~⑤を達成する力を身につけており、これによって高齢期の幸福、充実が実現しているが、男性にはその力が極めて乏しい。仕事にばかり時間と力を注ぎこみ、家のことや子育ては妻任せ、仕事に関係のない人との付き合いや地域とのつながりも作ろうとしてこなかった。仕事を理由にすれば、「社会的・市民的義務」を軽視することもできた。発達課題をクリアできないのは、会社に縛られるように脇目も振らずモーレツに働いた結果と言えるだろう。

従って、高齢男性の幸福感を上げるための策は、二つ考えられる。一つは、活動の場を用意するだけでなく、パラダイムの転換を促すための再教育を行うことだ。諸活動に参加する際の心理的バリアを取り除くには、これまでとは異なる価値基準、モノの見方を身に付けられるような機会が必要である。もう一つは、逆に、生涯現役を制度面で後押しし、高齢男性が価値観を変えずとも活き活きと生きていけるようにすることだ。例えば、企業に対して定年退職制度を禁止し、同時に高齢者の求人情報(ボランティアを含む)を積極的に提供する。定年退職は年齢を理由にした雇用差別であるという考え方があり、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどでは法的に禁止されている。日本でも求人票に年齢を記載するのは採用差別である(仕事の能力と年齢は関係がない)として原則禁止しているのだから、退職についても同じように考えるのは一貫性があり、当然の措置とも言える。

付け加えれば、男性に限らず、高齢者にとってあるいは高齢期を迎えるに当たって、①と⑥について心得ておくべきだろう。①について言えば、老いをネガティブに捉え、若さに憧れる風潮は相変わらずで、健康維持や見た目の若さへの関心は高いが、老いを受け入れた上で、年相応の成熟を追求しようという機運はあまり感じられない。⑥では、昔に買った郊外の広い一戸建て住宅に、掃除や維持管理の大変さ、老朽化、孤独などを嘆きながら住みつづけている人が多い。高齢者のニーズにしっかり応えられる住宅の供給が前提にはなるが、積極的な住み替えが進めば、長い高齢期を楽しく過ごせる人は増えるはずである。