老いゆく両親に寄り添って① ~高齢者を取り巻く理想と現実

西澤一二(老いの工学研究所・初代理事長)

私は、共働きサラリーマン夫婦の次男として生まれ、贅沢はできないまでも特段の不自由もなく育ちました。父は旋盤技術者、母は経理事務職。父の定年退職と同時に自分も仕事をやめた母が、身体の不調を訴えたのはその後すぐの頃でした。不調といっても日常生活に支障を来すほどではなかったので、夫婦で海外旅行に出掛けたり、母がゲートボールを始めたりして、二人はいわゆる「老後の楽しみ」を満喫しつつあるようでした。母の不調の原因がパーキンソン病との告知を受けたり、父が糖尿病や心筋梗塞等に罹患しているといった報告に、その頃の私は、無関心とまでは言わないまでも、その後の自分の生活に大きく関わりを持つことになるとは思いもしませんでした。

しかしその後、両親の介護度の上昇とともに、私もやむなく高齢者を取り巻く現実の中に巻き込まれていきました。老いゆく両親に寄り添って体験したいろいろな出来事について、まさにその現実の中で生きる高齢者の方々はもとより、自分のところは大丈夫と高をくくっている私と同世代の方々にも、何らかのお役に立てることを願いこの場を借りてこれから少しずつ書いていきたいと思います。

初回は、母が介護を必要とするようになった根本的要因であるパーキンソン病について、お話します。

この病気は、神経伝達物質の一つであるドーパミンが減少する事で起こると考えられています。日本での有病率は約1000人に1人程度で、症状としては、手足のふるえ(振戦)、手足のこわばり(固縮)、動作が緩慢(寡動、無動)、転びやすくなる(姿勢反射障害)、などが代表的な特徴といわれています。母の場合、手足のふるえが最初におこりました。その症状が起こる少し前に原付バイクで転倒するということがあったのと、そもそも私達にはパーキンソン病というもの自体の知識がなかったので、外科的なものが原因ではないかということで、当初は特に治療ということをしていませんでした。その後いつまでも手のふるえが治まらず、原因を求めていくつかの病院を巡り始め、最終的にパーキンソン病と診断されたのは、症状が出てから数年が経ってからでした。ただ、幸いにもこの病気は命にかかわるものではなく、母の場合その進行も比較的ゆっくりだったので、介護が必要になるまでにもある程度の時間の猶予がありました。

パーキンソン病の治療は、薬物療法が主となりますが、薬物療法には、不足するドーパミン自体(厳密にはその前駆体であるL-DOPA)を補充するもの(レボドパ)と、ドーパミンに結合する受容体を刺激するもの(ドパミンアゴニスト)などがあります。

前者は、効き目が強力ではあるものの、服薬期間の長期化に伴って作用時間の短期化や効果が切れると急に動けなくなる症状(ウェアリングオフ現象)が起こったり、過剰に服薬するとそれに起因した不随意運動(ジスキネジア)が出現したりします。これに対し、後者は、それらの副作用が生じにくい反面、効くまでに時間がかかることや吐き気や妄想などの副作用が出やすいという欠点があります。

また、定位脳手術という手術療法もあります。視床、淡蒼球、視床下核といった脳内の特定の部位を破壊するとパーキンソン症状が改善することが判っているため、それらに熱を加えて破壊する方法(凝固術)のほか、脳深部刺激治療(DBS:deep brain stimulation)があります。DBSは脳深部に電極を留置し、前胸部に植え込んだ刺激装置で高頻度刺激する治療法です。いずれにしても原因そのものを解決する手術ではないので、薬物療法との調整が重要なことに変わりありません。

私の母も、脳深部刺激治療を受け電極を設置しています。この刺激装置には電池が必要で数年ごとに前胸部に埋め込んだ刺激装置の電池交換の手術が必要になります。ただ、この電池の稼働時間は刺激の強度にも拠るようで、母の場合当初交換時期といわれた5年を優に超えていますが、まだ電池交換はしていません。(電池の残量は、簡単な機械で体外からチェックできます。)母は今療養型の病院に入院していますので、今後電池交換が必要になった場合、その手術のために転院する必要があることを考えると非常に憂鬱です。

パーキンソン病は、国の難病対策の一つである特定疾患治療研究事業の対象疾患に指定されており、これを活用することは長期化する療養生活を考えると経済的には非常にありがたい制度になっています。パーキンソン病は「天寿を全うする病」である以上、療養において、これらの薬の組み合わせや量の調節、時には手術療法の併用などにより、病気の症状の軽減や進行の抑制、副作用の最小化を図ることが重要なことだと思います。

高齢者がパーキンソン病になった場合、気をつけなければならないのは、歩行障害やウェアリングオフ現象に伴う転倒です。母の場合はまさしくこれにより大腿骨頚部を骨折し、それから先は寝たきりの状態になるまで坂道を転がるような状況でした。あの転倒さえなければ、状況は全く違っていたかもしれません。以上が、パーキンソン病のあらましです。実際には、個人によって経過はさまざまだと思いますが、ご参考まで。