“超高齢社会”にふさわしい「新しい敬老」を考える

「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨で、「敬老の日」が9月15日に定められたのは1966年のことです(現在は9月の第3月曜日)。それから60年近くたって、同じ「高齢者」といっても、その姿や在りようは大きく変わりました。

 1966年ごろといえば、戦争終結から約20年後ですから、そのときの高齢者は実際に戦地に赴いたり、必死の思いで家族を守ったりして生き延びた人たちです。

 作家の五木寛之さんが、子どもの頃に親と一緒に朝鮮半島から命からがら引き揚げてきた話をよく書いておられますが、当時の高齢者は1932年生まれの五木さんの親世代に当たります。従って、「高齢者」という言葉には、“戦争で大変な苦労をしてきた世代”に対する慰労や感謝の意味合いが多分に含まれていたでしょう。

「敬老の日」が定められた背景には、戦後復興から東京オリンピックという一つの達成感を得て、改めてその苦労に報いたいという思いが社会全体にあったのではないかと想像します。

 当時の高齢化率(全人口に占める65歳以上の高齢者の割合)は約6%でした。おおよそ17人に1人です。数少ない存在ですから、自然と、ありがたみや尊敬、「皆で大切にする」といった意識が生まれたのでしょう。地域コミュニティーが機能していたので、高齢者には年中行事や冠婚葬祭などがあるたびに、あるいは子育てや家事などに関して次世代に知恵や経験を授けるという役割もあり、頼りになる存在としても意識されていたはずです。

 一方で、17人に1人という少なさですから、同世代の友人はなかなかできません。日常的に昔話に花を咲かせることができる友人、同じ趣味を楽しむ人、同じつらさや痛み、喪失感を共有できる仲間は、今の高齢者ほどには恵まれていなかったでしょう。3世代同居で家族が周りにいるとはいっても、どこか物静かで孤高な感じが漂う――。このような、尊敬すべき人たちが寂しそうに見えるという状況も、「敬老の日」の制定につながったのではないでしょうか。

 昔と、今の高齢者の違いはたくさんあります。まず、現在の高齢化率は約29%になっており、おおよそ3人に1人ですから、全く珍しくはない存在となりました。

 次に、今の高齢者は体力があります。見た目も実に若々しくなっていますが、実際に歩行スピードや片足立ちなど、体力測定の数値を見ると、この20年くらいで10歳ほど若返っており、今の75歳は20年前の60代前半の人たちと同じくらいの体力があります。

 また、65歳の人の平均余命(平均的にあと何年生きるか)は現在、男性が19.9年、女性が24.7年です。高齢者といっても“平均で”あと20年の長い人生があるわけで、老い先短い人たちとはいえません。3人に1人ですから、皆が現役世代に支えられる側となるのではなく、その元気さを生かして社会参加するように求められているのも大きな違いです。

 さらに、昔は、「いつか衰えたら子や孫の世話になるもの」という前提がありましたが、今は高齢者のみの世帯が増えた(高齢者が住む世帯のうち「高齢者のみ世帯」は約6割)ために、最期まで子どもらの世話にはならず、自立生活を継続するというのが前提であり、目標となりました。

 このように見てくると、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という昔ながらの敬老の精神は、今の高齢者に対してしっくりくるものではありません。多年にわたり社会に尽くしてきたのはその通りだとしても、昔の高齢者よりはるかに体力があって、まだまだ社会参加が十分に可能な元気な人たちですから、“敬愛”といった引退した人をいたわるような言葉より、エールを送りたいような気分になります。

 超高齢社会における高齢者は、それぞれの持てる能力などに応じて社会参加することが求められますし、そう望んでいる人はたくさんいます。また、衰えて家族の世話になるのではなく、最期まで自宅で自立して暮らせるような健康状態を維持することを基本に考えている人がほとんどです。

 そうすると、「いたわる」「保護する」「何でもやって差し上げる」といったニュアンスの敬老の精神は、高齢者への期待や高齢者自身の希望に反するものになりかねません。そうすればするほど、衰えが加速するからです。敬老の精神や行動が高齢者を弱らせること、高齢者の不健康や不幸せにつながってはいけません。

 超高齢社会において、お年寄りを大切にするとはどういうことかという「敬老のパラダイム」を転換する必要があるでしょう。見違えるような体力の向上、社会参加や自立生活に対する意欲、健康に対する意識の高まりなどを見れば、超高齢社会にふさわしい「敬老の日」は、「高齢者それぞれの強みを一緒に見直し、それを発揮していただく機会を提供する日」なのではないかと筆者は考えます。