高齢者住宅に住み替えた高齢者の動機と本音。

 高齢者の家族形態は近年、大きく変化しました。内閣府の「高齢者白書」(2021年)で1980年と2019年を比較してみると、高齢者のいる世帯のうち『3世代同居』は50.1%から9.4%まで激減した一方、高齢の単身世帯は10.7%から28.8%と約2.7倍に、夫婦のみの世帯は16.2%から32.3%と倍増しています。約40年で、すっかり「高齢者が高齢者だけで住む時代」になったことが分かります。

 ここ数年、高齢者住宅に住み替えた人や、住み替えの検討をする人の声をよく聞くようになりましたが、「長い高齢期を自分たちだけでどうやって暮らしていくのか」と考える人が増えているからだろうと思います。(ちなみに本記事では、分譲型と賃貸型を「高齢者住宅」とし、利用権方式をとっている老人ホームは、もっぱらサービスを施すために作られた「高齢者施設」とし、「高齢者住宅」とは区別しています)

 では、高齢者は高齢者住宅をどのように捉えているのか。これまで伺った声から考えてみました。

高齢になると、若い頃にはあまり気にならなかったことが不安や恐れに変わってきます。例えば、体調の急変や転倒事故、高齢者を狙う犯罪、災害時の行動などです。また、体力が必要なことや、こまごました作業などは面倒や煩わしさを覚えるようになってきます。今は何とかなっていても、それが将来的に耐えられないレベルになったり、日常的に助けが必要な状態になったりする可能性がありますから、そんなときでも安心な環境を手に入れようとするのは自然なことです。

 高齢者住宅に引っ越した人はよく、「ここは“お守り”」とおっしゃいます。「具体的に何かあったわけではないし、今はそんなに困っていないが、ここに住んでおけばとりあえず安心」という意味です。お守りは、辞書によれば「身に付けていると、危難を逃れることができると信じられているもの」「災難を逃れるために、身に付けるもの」といった意味合いがありますが、高齢者住宅はまさに“お守り”の役割を果たしているようです。

 夫婦で暮らしていても、どちらかが先に亡くなります。そのため、高齢のご夫婦の話を聞くと必ず、「自分が一人になった場合」と「自分が先に死んだ場合」の両方を考えておられます。

 高齢女性は、「自分が一人になった場合」をそう恐れてはいません。現役時代、ご主人は仕事漬けで大して家におらず、自分は家事や子育てに忙殺され、かといってろくに感謝もされず、「そもそも若い頃から1人暮らしみたいなものだった」と言う人もいるくらいなので、一人で暮らしていける強さが身に付いています。実際に女性の多くは、ご主人を亡くされた後、一時は大きな喪失や悲しみを味わうものの、時間がたてば1人暮らしを楽しめるようになっていきます。

 しかしながら、心配事は“身の回りのことができない”ご主人。高齢者住宅にご夫婦で住み替えられた女性にその動機を尋ねると、「私が先に死んだときのため」とおっしゃいます。「自分が先に死んだら、身の回りのことができないこの人は困ってしまうだろう。高齢者住宅なら、食事を含めていろいろと助けてもらえるから安心だ」という意味です。「もし私が先に死んだら、私の代わりに誰かに助けてもらってください」というご主人へのメッセージともいえます。

 高齢男性は、身の回りのことをしてきた経験に乏しいのが原因で、1人暮らしになることによって受けるダメージは、女性よりも大きくなります。

 最近は高齢男性の中にも「掃除をしている」「料理ができる」「洗い物は全部している」とおっしゃる人も増えましたが、詳しく聞けば、それは奥さまのお手伝いや暇つぶしのようなもので、「こまごまとしたことも含めて、家事全般ができますか」と問われれば、自信を持って「できる」と言う人はあまりいません。当然、1人暮らしになると不規則、不衛生をはじめとして生活が乱れ、心身の健康状態が低下してしまいます。

 とはいっても、「家事ができないくらい、何が悪い?」と開き直っているわけではありません。むしろ、現役時代より長い時間、家にいる分、余計に家事負担をかけているのは重々分かっていて、それでも今さら家事に取り組む気にはならず、奥さまに対して申し訳なさや引け目を感じているようにも見えます。

 高齢者住宅にご夫婦で住み替えられた男性にその動機を尋ねると、「罪滅ぼし」と言っておられました。「これまで散々、手を煩わせてしまった。だから、私が先に死んだら、妻には思うがままに楽しんでほしい」という意味です。家のことを放っておいて悪かったという申し訳なさと、自分のために時間も手間もかけてくれたことへの感謝が入り交じったような気持ちなのでしょう。

 高齢者住宅という、何の遠慮も気兼ねもなく楽しめる環境は、奥さまへの“人生最後のプレゼント”なのだと思います。